北条氏の修行論
長い一日は生きる糧を得るためか…(o´д`o)
テレワークなどは社内に居る人間へ充てられるものだ。
まして現場などでそんなことしたら、パニックになるだろう。
有名企業が働き方改革をしているが、手仕事というのは相変わらずある。AIなどが騒がれているけど、機械や判断力が人力になるところは今のところ残っている。
さて、北条氏の修行論を読んだ。
正しくは甲野先生を解釈したものを記述したものだ。
甲野先生といえば武術家で、学校教育は歴史、体育、読み書きがあれば良いという人で、他にも武術を他分野に活かすという「応用力」の人でもある。
今回の解釈本だけど、かなり要点・本質を突いたもので身体を使う仕事の人にも読んで欲しい。
要領を得る、上手い下手、才能、武術家とは?など、詩のようなフォーマットで記されている。ゆえに、時々パラパラとめくっては「ああ、そうだな」と1人頷いているのもよろしい。
武術家のなかには応用や直感(直観)が湧かないと次に繋げないよ、という人もいる。
というのも、できる人はできるしできない人はできないようなもので、できる人(応用力のある人)をひたすら真似て、プロセスから学びなさい、という入り方がある…できない人にとって。
残念だけど人には、知能や体力だけでなく、器用さ、機転が利く、応用力、ひらめきなども個人差がある。
みんな、一緒(能力も一緒!)という考え(考えたい)みたいなのを私は否定する。
できないなら、できないなりに、どうすれば紆余曲折すればいいのか?をやればいいと思う。
力むなら、力まないでできる拍子をつかんだり、息が続かないなら、どこで息を抜けるか?を観察すれば良い・・・早い話、できる人を見なさい、なことになる。
細田守の「バケモノの子」の舎弟がひたすら、兄貴分を真似ていたけど、アレにあたる。
できないより、できるのを真似た方が上達は速い。
できないモノを見ないのだ。
人体は脳(考え)くらいが違いであとは、タンパクと骨が同じ素材なのだから、もし、ある動作が必要な分野に行くのなら、その分野の人間を真似るのも手だろう。
まぁ、私も(救いようのない)不器用で生まれてきたから、人よりもスタートはマイナスからなんだけどさ。
(´・ω・`)「お前がやって意味あんの?」
と、言われてもやらないより、やった方がマシ(になるだろうから)だから、不器用な人(
や子)は修練は必要だろうな。
ちなみに、できる人はよろしい。
できないから、教育や修練なのだと私は考えている。
いま、「教育がよりできる人ができるように」みたいなキャッチコピーを見かけるけど、そればっかしてたら格差になるよ。
できる人は放っておいてもできるし、自分が相応しい道のりを歩むのも、分かるものだ。それに自分が見えてるというか。
それと、北条氏というフィルターを介して甲野先生をまとめているから、じかに甲野先生が知りたければ、DVDや書籍もあるから、そちらを参考にすれば良いと思う。
微細な差があって面白い。