ドラッグ&リスカを読み解く
Dr.松本俊彦の依存性・リスカの記事を読んだ。
時代が違うようだ。
私の頭のなかは「なだいなだ」がインプットされていたので、今と昔ではやり方が大違いのようだ。
依存性は脳への快楽条件付けだ、というのでは50点だ、と松本氏。
依存性には、患者が感じる彼の居る環境の不快さと、孤立があるらしい。
というのも、ドラッグをしても問題になる人ならない人の2パターンあるからで、ほどほどドラッグを楽しみながら問題にならない人がいれば、一方ではのめり込み問題になる人がいる。
実はこれ、私もまえに書いた。
普段、違法薬物を器用に使いながらも日常をやれるヤツがいると。
片方では…酒でも、飲むと目が座り、荒い口調になる人がトラブルになる。
たぶん、なだいなだ流にやれば「成長」物語を出すだろう。
アルコールでも自己コントロールが出来るような患者を目指していくのだ、と。
「正常より成長だ」と、なだは口を酸っぱくして言っていた。
ただ、時代も微妙に変わり(私の印象では)個人が生きる時代になったゆえ、「成長」云々よりも、自分で他との繋がりを作らないとならない、時代になったようだ。
今を生きる人間が、ある種の「成長」はとりあえず達したのかも分からん。
あるいは成長はとりあえず置いといて、別の目標に移ったのかもしれない。
松本氏もまた、いかに他人を信用していいか?自分にとってイヤ事の明確化、苦手な人と付き合わないなど、技術を挙げてくる。
まさに、時代は成長からどう生き延びるか?になったのだ。
そんななか…
悲しいなあ…
コアファンのなかには「自死をほのめかしたからレスキューを!」と叫ぶ人がいた。
しかも、リスカをしていた云々も確認していたようだ。
自傷・リスカをする人は「手首切りながらギリギリ頑張っている」と松本氏は言う。
この世で、ようやく生を保っていられる、と。
自分が信用できる人に辛さを言えるセンスを身につけなさい、と松本氏は仰る。
信用できる、がミソで何も偏見オヤジに言う必要はない。
この国ではどうしても、みんな仲良くとか、共通したテーマを持とうとする同調同圧があり、それから自分の苦しさを語ればワガママという文化が、昔から続いている。
悪習だ。
なぜ、こんなことするか?といえば、集団行動をしたり、させたりするのに便利で効率がよく、個人の不調は集団からしていけないものと捉えられるからだ。
だから、いまも個人が生きない。
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もし、なだのやり方で今を切り開こうとしたら、ノイローゼになるだろう。
だって「成長しました」でも世の中求めているのは、同調同圧ですとなれば、個人と世の中の求めるものに著しいギャップがある。
世のため人のためが、悪い奴らの搾取に繋がる危険もある。
一昔前の正解はいまでは賞味期限切れになることがあるのだ。
ゆえに、松本氏の生き延び方を身につけなさい、というのは間違いではない。
(ただ、成長モデルはいつか役立つかも分からんから、腹にしまって置くのもいい気もする)
その点、なだの予言である世の中それほど人は成長しないというのは、当たっているかもわからん。
私含めて大人をしている人間がいない感じがするからだ。