奇特さ加減
最近、聖歌を聴いている。
そうでなくても、グレゴリオとか賛美歌みたいなものも聴いている。
キリスト教に改心したわけではない。
いまはどうかしらないが、向こうの人は休日に日曜学校にいくという。
坊さんの説教を聴き内省するようだ。
「原罪」という根源的な罪が人にはあるというのだろう。
あるいは、それゆえ人は間違いも犯す存在だ、と確認するようなものなのか?
私が聖歌を聴くのはいつ死んでも良いように、くらいの意識がある。
あるいは、日々の心身・魂の浄化があるかもしれない。
私だって間違いを犯す存在だとしたら、せめてその分のカタルシスはあっても良いと思う。
これからはチットでもマシになればいいなとは、思っている。
ある人がポンニチの人は罪悪感が強いといった。
私はそうは思わない。
むしろ、全体的に罪悪感を被るから、個人の罪悪感は薄まって存在している気がする。
だから、人は生きられる。
全体主義のメリットでもある。
都合の悪いとこを責任転嫁することで、人が保っていられることがある。
悪いこと、好ましくないこと、あってはならないこと、それらを薄めて全員が罪悪感を被った気になる。
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売れっ子作家などで、なぜ売れるのか分からない人がいる。
編集者の先見の明が働いているのだろうけど、マーケットで売れる近似値を定めて、作家に書かせるのかもしれない。
時代ウケしている時のアーティストだってそうだ。
私の感性がマイノリティなのだろう。時代の本を最近読めなくなった。
あるいは「合う」本が書店に並ばなくなったのか?
しかし、本もまた、情報源であり、思想に関することなら、時流に大きく影響されてもおかしくない。
「この本を読め」みたいなものが、かなり書店から見受けられることがある。
たとえば、気になるのは「アゲる」系の本が目につくことだ。
成功、スマートに、皆やってる、活用法、必勝、上手く操る・・・
(´・ω・`)「パチスロの間違いじゃねえの?」
と、思うくらいだ。
必勝とかさ…
仕事生活自体がギャンブル化というか、タフに、もっと上昇して…なんてのが多い。
勤勉というより、要領の良いのが注目されるのよね。
1番はもとが良くない気もするのだ。
バブルがつま先立ちなら、これからは身の程を知れみたいになるのかもしれない。
それでも、エネルギッシュで目指す理想をスマートに語る若い社員なんかを見ると、上昇する意識の強いこと。
まぁ、いまはスマートに、頭良さそうに語るのが流行っているようだけど「沈黙は金」というのは通じないんだろうな。
教養より流行(≒夢)の方が強しか…