夏も疫病?
二波が100を越えて来ている。
まだ、序の口というのもいるけど、人が動き回ればこうなるのは仕方ない。
人の行き来が激しい都心は、一波が去ったあとは即座に満員電車が始まった。
(´・ω・`)「それほど、働きたい人は多いのよ」
むしろ、金がないと不安だから働くのだ。
しかし、テレワーク、Zoomでのワークがホワイトカラーの特権で、むしろ現場の人間は出勤が出来なくなると致命的だ。
¥10万が1回きりなんてしないで、期間限定(でも良いから)のベーシックインカムみたいにしないと、生きていけない。
厚労省によれば、疫病は自然災害で保証にならないとしていて・・・・・・その流れでいくと会社が従業員に「(自主的に)休んでくれるよな?」な忖度をさせるのは、既に経験した。
会社判断での「休んでくれよ」は保証を与えないといけないらしいから。
Dr.木村によれば「休む」というのは英断だという。
危険予測し、疫病の掻き回しをやめるのは、充分に貢献しているのだ、という。
要は危険な場合の、静的な選択は1つの解であり、それをしたとしてもお給金はあげなさいよ、みたいなものだ。
ところで、Dr.木村の本を読むと休んだ従業員が、休んで悪かったとして、菓子折りを持ってくる事例が紹介されていた。
自身が痛い思いをしたのに、周りに不快な思いをさせた謝罪だという。機能主義の極みで本末転倒な事例だと私は感じる。
優しさ(?)や倫理から程遠い世界に生きているのだ、とつくづく思う。
傷を負った場合、二重、三重の痛みを伴わないとならない。
ミスしたヤツが悪い→ミスを許さない…という流れが強迫的に強化される。
そのようなシステムがここ何年かで完成したんじゃないか?と思われる。
より、人は弱くなれない(なれなくなる)。
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代表者にまとまったお金を渡し、代表者と付き添う権利を「買う」仕組みがあるという。
ホリ○モンもやっているようだ。
「社長と共に居られる」権利。
果たしてどうなのか?
水が民営化していくように、有用情報も有料化しているそうな。
思えば、新聞の購読料はありだとしとも、もっと有用なリソース情報はやはり格差に繋がらないはずが無いように思う。
生きやすさの価値(格差)というか。
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長いものには巻かれろ、というのは昔から変わらない。
人が風見鶏でいられるのは生存戦略で有利であるからだ。その時、その時の生き物だというのがわかる。
むかしが良かったと私は言わない。
しかし、長いものには巻かれろ自体に「好ましくない」仕組みがあっても、人はそれに巻かれていくのか。
保身のためであり、月賦までパーにする良心的なのはいない。
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U師匠の本に「人は人がどう狂っていくか忘れた」ことが書いていた。
戦時は非日常で非現実的なことが起きたが、そのなかで人というのが、どれほど容易に狂っていけるのか?それを戦中派は知っていた、だから不適切な振る舞いを人にはしない…という内容だった。
いまは、システム(=機能主義)のために極限まで人を追い詰める。
自死は減ったというがこんな不寛容さ(≒ルールの厳格さ)はかつて無かったんじゃないか?と感じるくらいだ。
加えて「逆上・反抗」というのが難しくなった。
暴力はいけないと決めたら人はギリギリまでおちょくる。
なかには「ハラスメント」の才能に長けた人間もいる。
ルールというのがシステムに融合し、倫理というのが分からないモノになったなら、それこそ混沌とした世界だ。