本屋の遷移
店は売れる本しか置かなくなった。
駅前なんかは当たり前だけど、目につくたなにはいわゆる「イケてる」系なモノが並ぶ。
(´・ω・`)「渋沢栄一が次の万券になるくらいだもの」
金儲けに文学や芸術の匂いがしないのは私が歳行ったからか?
まぁ早い話、ハウツーみたいに即効性のありそうなものが、並んでるのだ。
たとえば、教育なんてのはクツクツと長い時間かけて錬金するようなとこがある。
いまは次の子供にハウツー教えてその場限りの存在にしようものだ。
まぁ、深い内容の本が本屋の奥に眠るようなな置かれているようだから、それすらも話題にならないんだろう。
電車でゲームするヤツも増えた。
私なんかはバカになりそうだから本を読んでいるんだけど、果たして周りは利口なのかしら?
まぁ、言動やあらゆる事がマイナスからスタートしたのは認めるけどさ。
ビジネスマンは確かに(盛ったり)アゲないとやってられない世界といえない事はない。
昔と違って「私などはまだまだ」なんて言えくなっている。
そんなこと言えば放り出される。
有能がスタンダードな世界だ。
人はいつでも成長段階だ、と言った人がいるけど、いまは成功している人の本を見かけるのと関係しているのかもしれない。
逆に、子供は転んだり失敗したりのとき「ドンマイ」がいいのだけど、だいぶまえから許されないもんね~。
大人世界がそうだから。
失敗やダメな場合はどうだろう?みたいに機転が利くようなやり方ならいいけど、失敗を認めないとなれば、生きにくいよなぁ。
編集者も、○○を書いてるけるだろう!な人を選んでいるんだろうけど、それは売れるが先にあるから。
新刊文庫にしても、泣けたとか、皆が共感したとか、世界が○○…なんて帯がやたら目立つ。
「感じ方なんて無数じゃない!」と言いたいけど、泣いたり、共感しないといけないらしい。
なんて、強迫的な。