Apollonneo’s blog

読書感想文、自然体験談多し

機能主義・構造主義について

いま、医者と社会学者の本を読んでいる。

 

気になるとこがあった。

ポンニチのイエでは家人が機能的でないと受け入られない…云々。

 

たぶん、拡大解釈しても良さそうな文章だ。

後文にイエ以外にも集団についても、それが適応できそうな箇所がある。

 

むかし、世継ぎが無能だと養子を貰って後を継がせた、という話を聞いたことがある。

ちゃんと、イエの体裁を整えてやっていける器量が必要とされることが子に求められたのだ。

引き継ぐのは(大抵)長子だが、例外があったかは分からない。私の勉強不足だ。

 

しかし「機能」と書いた。

各成員がそれぞれの役割をやっていないといけない。

そこから、連想できるのはシステムであり全体主義的なものだろう。

ゆえに、システム(全体)があって、それが先にあり各成員があとになる。

酷い言い方をすれば各人は「部品」である。

 

ところで、機能がなぜ気になったかは、昔から「機能主義」があったとしても、それは緩かったんじゃないか?とわたしが感じるからだ。

むかしは今のように情報は飛び交わない。

 

最近耳に付くのは、共感的な言葉と原因→結果がある会話である。

(´<_` )「ふ~ん」

で、済ませられないところがあり、いわゆる共感過剰な時代も関係しているかもしれない。

 

要は諦めにくくなった、ともいえる。

会話に意味(≒機能)がないといけないのだから、余計な話はしにくくなった。

身のあるコミニケーションをいつもしないといけない堅苦しさがある。

神経症的だ。

 

○○であればこういうことがあります、というのも機能的な言い方だ。

セコいのか、ケチになったのか、こういう言葉もよく聞く。

まぁ、得られるものが10あったら、次第に8-5-4…に落ちていくなら、イライラもするわな。

損したくないのは分かるけど。