貧乏について
上を見ても下を見たらキリがない。
むかし、誰かが言っていた。
ホームレスに対して…
「あの人たちは働く気がないから」
と。
(´・ω・`)「まあ、凄えこと言うもんだ」
と思ったが、自分で手一杯な人は思ってもおかしくは無いなかな?と諦めて聞いていたけど。
もし、それに対して異議を唱えようものなら、ケンカになっていたかもしれない。
公園で水を汲んだり、日用品で使い捨て用品が洗って使えるモノになりだしたことがある。
避難生活じゃあるまいし、と思うのだけど、日常、コストをかけられないものに対しては知恵が働く。
まさか、川に水を汲みに行くわけに行かない。
それなら、アフリカやアジアに行った方がいい。
それほど清潔ではない水は川程度でいいのだから、洗濯、トイレに使える。
戦後はお尻拭きに新聞紙を使った。
臀が黒くなった。
もし、合理的にするならティッシュも水で溶けたりできればいいのだ。
レジ袋は有料となったが、一時期土分解されるものがあった。
大陸では実用段階まで来ているという。
この国で、できるであろうことが、できなくなるのは何でだろう?
工夫というのはある種の進歩を含んでいる。逆に、戦中将校たちが躍起になって「できない事は許さん、工夫が足りん!」は単なる痩せ我慢である。
合理、工夫は余裕や豊かさで出てくる。
切りつめ、ネズミの車をさせていてはいつまでも変わらない。
大正生まれが、あんな大国に勝てるはずがない、と言っといた。
資源の差だという意味らしい。
それもあるが、如何に合理的に・・・言わば「今までしていた事」を束でまとめながらやって行けること(≒工夫)に秘訣があったようだ。
知恵者というのは上手いことを思いつく。
上手くいかないことに対してどうすれば流れて行くかを考えている。
観察力と発想力がある。
ルールや権威はそれの芽を摘む。
極端な○○だからダメ、というのは・・・あとで気付いたら自分が如何に原始的なことに執着していた、なんてことがある。
貧乏でも知恵者の方がいいな。