ダーウィニズム?
進化論は考え方である。
メンデルですら遺伝子の全容の1部分しか見ていなかったのだ。
遺伝子(相同染色体)には乗り換え(組み換え?)があり、法則通りにはいかないこともある。
糖尿は遺伝か?といえば、どちらでもない。
むしろ、糖尿にしておいた方が、個体には有利だからそうしてある…糖尿の遺伝子を発現させてある、という考え方があるゆえ、環境の相互作用も無視できない。
生物というのは複雑だ。
政(まつりごと)で、変化するヤツが強い…というのが問題になっている。
ヒューマニズムの観点からしたら、大問題だし、誤用も甚だしいと騒がれている。
繰り返すが、進化論も考え方がであり、過去にこういうケースがあった、まではいえる。
ミッシングリンク、キリンの首はなぜ長いの?などは、傾向、確からしさ、などから可能性として「こうこう、こうだ」までいえる。
知人の息子が大学で「変化する人が強い」と教官に言われたらしい。
ファミマにいけば、大学に華々しく受かる文句が流れているが、本来は考えたり学問で悩んだりしに行くのが、学校なんじゃないの?と私は思う。
そんな、重圧に耐えられないから、私は行かないけどさ。
学校も営業を表に出すのが当たり前になった。
「変化(あるいは前進)」は響きの良い言葉だ。
だから、ビジネスでもよく使われる。
変化は良いか?といえば、よく分からない。
モノを売る人間なら美辞麗句を並べないといけないが、政治はインフラである。
水道が民営になれば、私は臭い水しか飲めないだろう。
「給料」が変わらないんだから。
変化を楽しめたり、操れるのは上の人間だと感じる。
ケンポ改を盛んに謳っているが市井の基礎ベースはなかなか変わらない。
生物一般がいまの形になったのは、長い歴史があるからで人間の歴史は薄い。
進化論の誤用や浅はかな考え(早急な変化)が、発展や進歩を迎えるとは思えない。
営業向けの響きがよい言葉が下り坂の御時世にそぐわないのは、私の脳が悪魔に取り憑かれているからか?