後輩にどつかれるということ
※何も暴力的なことは書きません。
いや、考えようによってはかなり寂しいことかもしれない。
後から来る世代に批判されることがある。
家族制が生きていた時代・・・そう、戦後の人か?こういった人がいる。
「昭和天皇も(結局)担がれていただけだ」
・・・と。
たぶん、今の人には通用しないだろう。
皮膚感覚でギャップがありそうだ。
というのも、私の印象では自分と他人が地続きみたいな感じで彼は述べたのだ。
天皇と繋がっていた感覚。
あるいは、ある種の優しさなのかもしれない。
だけど、政治をうるさく言い、SNSや人権問題が騒がれるいま、通用するはずがない。
時代が違う。
また、サブカル世代もあとあと批判されるだろう、という人がいる。
分からなくない。
インディアンを制した人々の子孫が当時の事情を知らず、なぜ、今も昔の人に叩かれないといけないのか?ということだってある。
同時の事情をなど、あとの世代には分からないのだ。
実際、体験したわけでもない。
しかし、サブカルといえば爛熟したポンニチ文化のころだ、と言えるかもしれない。
当時、良きも悪しきも様々な方向の作品が出ていた記憶がある。
いまと比べれば、まだ文化も余裕があったかのように感じる。
たとえば、氷河期世代が困っているとする。
たぶん、あとの世代には分からないだろう。
いま、貧困…というか、右肩下がりが当たり前で「それがどうした?だからどうする?」みたいにいう若い子がいるらしい。
氷河期世代の活動家のA氏も、そのような意見にどぎまぎしているようだ。
悪くいえば、A氏以降の貧困慣れした若い子が現実的な意見を持っている、ともいえるし、キレイに言えばA氏はそれでも活動をやめない…現状や常識を疑い、切り込むことをしている。
たとえば…
カッコつけて悩んでるふりしてるだけじゃないか?というのが、それだ。
彼らがいたから、いまの知識人らが参考にできるわけであって「カッコつけて悩んでるふり」していても、当時と現代を比較できる資料が残っている。
彼らの頃には近代化があった。
当時には当時なりの悩ましいことがあったのだろう。
氷河期世代の苦悩のころから、ポンニチは低迷さ中だったわけだが、迷いの世の中だったともいえる。
たぶん、将来ハッキリした時代がきなら、あとの世代には彼らが優柔不断に見えるかもしれない。
いや、今でさえ氷河期世代の勝ち組がいるわけだ。
上手くいかずズルズルいけば、なにをしていたんだ?になる。
人間、そこまで他人に興味はない。
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私は思うのだけど不理解はもちろん、ひとの事情は先人も後輩も分からないことがあると思う。
戦中派は黙った。
戦争を語らなかった。
私は資料からイメージするしかない。
だけど、戦後派は右肩上がりを語った。
デカダンスだったようだが、やればやった分、返ってきた。
アメリカのモノマネをした。
東京が華やかだった。
戦後、上野の負傷兵へのカンパ、共産を語った教師の左遷、空襲あとのガラス拾い…。
戦後世代にはこれらの出来事がまだ語りやすいのかもしれない。