アルコーリズムの宿題
ちくまプリマー新書から、晩年のなだいなだの作品が出ている。
「こころ医者2」という副題があるが、なだ氏はメッセージを残している。
過去の医学者が未知の病を克服し、次のステージを次世代が俯瞰できるまで事態を持ってきた。
憑き物は電気で落ちる、アルコールは治療より成長物語だ、さて、我々の次の世代はどういう風景を俯瞰するのだろう。
・・・というニュアンスを残し、なだ氏は08に旅立った。
アルコールを巡る状況もあれから変わった。
9%Alcのチューハイが出回り、若い子の間では「飲む福祉」だと言われるようになった。
それでも、公的に見たら9%Alc500mLを2本飲めば、アルコール症の飲み方になる。
人は慣れるものだ。
9%Alcが出回っても、みな当たり前の様な顔をして飲む。
単価が安いから、余裕のない人はそれを飲むことになるのだろう。
松本氏は甘味を付けたよくないアルコール飲料で、本来の酒に悪いというが、本来が高すぎて手が出せない。
アルコールにせよドラッグにせよ、やり過ぎればおかしくなる。
長期的に見たら内蔵をおかしくするし、酔えなくなったら量が増えて、肝臓を悪くする。
肝細胞は破壊されることで解毒の働きをするという。
「慣れればいい」「鍛えればいい」とはよく巷で聞かれる言葉で、さも自分の延長線上に相手があるかの様な話し方をする。
個人主義や人権、民主主義などとは程遠い、野卑な会話がなされる。
中井久夫の時代からポンニチでの、酒に対する甘さは変わらない。
「まあ、飲め飲め」と他人を自分の続きのように振る舞う宴(うたげ)はいまも健在だ。
なだ氏のいう「成長」とは程遠い。
もちろん、アルコールやドラッグには一体感を高める効果がある。
一体感により自他ともにひとつになる効果・・・共同体を共同体にする効果を出すのだ。
むかし、東洋人には孤独耐性が低い遺伝子があると聞いたことがある。
(´・ω・`)「ホントか?」
しかし、そうでなくともベタベタとランチしにいく、背広の群れはオフィス街でよく見られる。
本音はつき合いなのかもしれないが。それを、断れない弱さと見るか、強迫的な同調圧力とみるか?どちらか?
しかし、なだ氏の読みも見当違いでないことがわかる。
個人が君子のように成長し、何事(酒も)も自己コントロールできる時代など来やしない、といった。
なだ氏の居た時代には他人を思いやる(≒慈悲的)のが成長のように書かれていた。
いまは成長が難しい。
成長よりもいかに他人を思い通りにするか?の方が強いと私は妄想する。
ある程度、成長しないことにより他人に甘えたり、自分が甘えたりという関係を温存しておける。
アルコールにせよ・・・飲みすぎた時の適度なツッコミやアイツは暫く誘うのよそう、みたいなのが、相互関係・・・悪くいえば共犯みたいなところがある。
あるいは、何事もお互い様みたいな。
利害関係や上下関係が強固な場合も、成長を阻害するのだろう。
気配りや親切でさえも、将来の利害関係に結びつき、受け入れられなかったり、善い施しが躊躇われることがある。
「利害関係」がくっきりしてきた時代だともいえる。
その割には占いや、血液型などは今も人気で、その手軽さ、分かりやすさから不動のものにしている。
(血液型)糖鎖抗原が性格を決めるというのは不可解なことだ。
基本、脳関門はガードが固い。精神系の漢方ですら、1度消化分解された化学物質が脳に入って作用するらしい。
外国では輸血以外に使い道はないと聞く。
カウンセラーは聞くのが上手いというが、タロットのように幾つか将来の道を示し、こうすればこうなだろう、みたいなのもミソなのだ。
聞き手は何人も相手にしてきたなら、経過がわかる。
ゆえに、こうなった、ああなった、などの「確からしさ」が見えてくる。