Apollonneo’s blog

読書感想文、自然体験談多し

支援施設での暴力沙汰(ハラスメント)

いつか起きると思っていた。

支援施設での逆セクハラが超有名支援施設で起きた。

 

まぁ、となりの葛飾区の支援施設でも性的虐待があったようだが、ツラを汚したくないんだろう。

茶を濁した声明文を出している。

 

少しまえにも、自助グループみたいなとこで、胸ぐらを掴まれるみたいな事があったが、それは事後研究しても良いと私は思う。

「暴力は悪」と認定して排除するやり方はあまりにも事態を分からなくするし、不親切だ。

今後に生かせない。

 

歳を重ねると顔の皮が厚くなるというのは、健常者たろうが、マイノリティだろうが、変わらない。

むしろ、負けを続けたぶん、ずる賢くなっていることがある。

また、世の中での振る舞いが分からなくて非社会的な行いをすることにもなる。

「子供部屋のおじさん」もその通りで、あれはこじらせた良い例だろう。

 

私は世の中が正しいとは思わない。

しかし、立ち位置を確認して振る舞いを見つけないと、こじらせることになる。

だから、子供部屋のおじさんや、支援施設でのセクハラなのだ。

 

だけど、先回の続きになるがハラスメントに関しては、子供部屋のおじさんやマイノリティより先に刑務所や病院入っていた方がいい、みたいな人間は腐るほどいる。

 

この国は不思議なもので、学校や職場でハラスメントをされた方を辞めさせる。

海外では「する」方を対処するようだが、ハラスメントをする人間を中心に職場が回っているのだ。

問題ありを問題なままにするのも、どこか自虐的である。

 

さて、某支援施設での被害だが、相当に卑猥なことをされたらしい。

経営者は倫理無用で黙っているし、ハラスメント者は大きな顔ができる。

勝ちの味を占めているし、知っている。

まさに強い弱者だ。

 

支援施設で働いていたとき、誰かが誰を殴った話があった。

何を言っても許されると思ったのだろう。

本人は表現の自由だとか、大したことないというが、私から見れば「常識的」ではないし、マウンティングである。

 

「言わない方が良い」ことはやはりある。

しかし、それは普通の人だろうが、マイノリティだろうが現在、隠さず言うようになったと私は感じる。

むしろ、言うことは「武器」や「威圧」として活かしているんじゃないか?と思う。

 

もっと物事を考えても良い時期だと感じる。