Generation ギャップについて
※文中にて口が浅ましくなりますが御容赦願います。
題名に頭文字だけ英字なのは気取っただけなのだ。
依存性の専門家Dr.松本がジェネレーションギャップについて語っていた。
少し前の記事なので閲覧する私の時代遅れも甚だしい。
昭和生まれと平成生まれの価値観が違い、職場で溝があるという。
昭和:気合い、根性、全体主義
平成:個人を生きる、今がハッピーでいい
…これが、大まかなギャップという。
私は中高年とはいえ「物事の仕方ないことは今は放っておきなさい」と様子を見させる方なので、
昭和生まれとも仲違いがある。
みんな、待てないのだ。
私は世代云々言うよりも人物を見た方が良いと思うへそ曲がりだ。
たとえば、昭和末期から平成からの遺産「不登校」では、不登校をやったヤツが苦労を分かるか?と言えばそうは思わない。
学校に行かなかったからと豪語しておき、やたらとマウンティングしてくる若いのを知っている。
今まで家に居たからと言って、小馬鹿にした目線とからかい口調でまくし立てるヤツなんかも過去にいた。
(💢゚Д゚)「張り倒してやろうか?」
と、思わなかったりする。
セーフ💢
「(不幸な)事情があるからと言って誰かを殴ってはいけない」 By Apollon neo
さて、早い話…ロクでもないヤツはロクでもないし、マシなヤツはマシなのよ。
どんな歴史や姿をしてようと。
逆にいえば上手くいくヤツは上手くいく。
見ると昭和と平成が上手くつるんでいるシーンもあるし、上手く甘えられたり、甘えるヤツもいる・・・中身はどうだか知らないけど。
会社の「勢い」に上手く乗れれば、そこには世代間のギャップは見当たらない。
私なんか昇進で越された若いヤツに指図されまくりだけどね。
私は強烈な陰キャなので、至高書が「竹林の七賢者」・・・これBible。
古典なんか読むと、世間の軽い付き合いが嫌いだった人間(隠者)は良く見つかる。
彼らと会話していると肩の荷がおりる。
アウトロー・・・というかアウトサイダーな見方をすると、人は人との関わりの中で支えたり支えあったりして生きているのが見えてくる。
悪い意味で。
主従関係や利害関係は必ず発生したりするし、その中でしか自分の「生」を生かすしかない「もののあわれ」を感じてしまう。
過去に生きた隠者や賢者もその目が合ったに違いない。
政(まつりごと)というインフラはハチャメチャだし、周りはやたら諂(へつら)うヤツばかりだけど、誰を信頼(≒手本)していいのか分からないのが若い子の不幸だよなぁ。
・・・上手くいってる子は別よ。